古賀 新三(こが しんぞう、1907年? - 1993年2月)は、日本の陸上競技選手、専門はマラソン。戦前から戦後間もない時期にかけて、各地の駅伝やマラソン大会に出場し、優勝を重ねる活躍をした。選手として活躍していた当時は、三井山野炭鉱に所属する、炭坑労働者であった。

おもな成績

特記のない限り、種目はマラソン:

  • 1946年10月20日:第1回 全日本毎日マラソン選手権(大阪:後のびわ湖毎日マラソンの前身)
    • 優勝 - 2:44:57
      • 古賀は前半からトップに立ち、最後は独走で優勝した。
  • 1946年11月:第1回国民体育大会
    • 20km 優勝 - 1:10:31.8。
  • 1947年5月18日:第2回 全日本毎日マラソン選手権(大阪)
    • 優勝 - 2:43:17。
  • 1947年10月:第31回 日本陸上競技選手権大会(福岡県)
    • 優勝 - 2:41:17。
  • 1947年秋:第2回国民体育大会(石川県)
    • 優勝 - 2:36:33。
  • 1947年12月7日:第1回 朝日マラソン(熊本県:後の福岡国際マラソンの前身)
    • 2位 - 2:48:06
      • 優勝候補と目されていた古賀は、トップで中間点を折り返したが、残り7kmで右足を痛め、最後の2kmは歩いてゴールした。優勝は、2:45:45を出した和田敏一。
  • 1948年5月9日:第3回 全日本毎日マラソン選手権(大阪)
    • 優勝 - 2:40:05
      • 前半は福家年夫と競り合い、後半は独走に持ち込んだ。
  • 1948年秋:第3回国民体育大会(福岡県)
    • 優勝 - 2:42:41。
  • 1949年5月8日:第4回 全日本毎日マラソン選手権(大阪)
    • 7位 - 2:57:12
      • 優勝は2:40:32を出した山田三郎。
  • 1949年12月4日:第3回 朝日マラソン(静岡県)
    • 優勝 - 2:40:26
      • 既に42歳になっていた古賀は、若手だった山田敬蔵とのマッチレースを制して優勝したが、これを機に本格的なマラソン競技から引退した。
  • 1950年2月:第1回 朝日駅伝競走に出場

脚注


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古家新 行動美術協会

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