京王デニ2900形電車は1953年(昭和28年)10月に1両(デニ2901)が製造され、デニ201に改番された後、1986年(昭和61年)3月まで使用された京王帝都電鉄京王線用の荷物電車である。
概要
車体
車体長16m、両運転台で、両方の乗務員ドアの隣に太い柱を挟んで幅2,000mmの両開き扉をもち、扉間には窓4枚を配置、マルーンの車体の窓下に白帯が巻かれていた。荷電という用途と重量軽減のため、内張はなく床は網目板となっている。なお連結器は廃車になった木造車デハ2000形(初代)より流用した。
主電動機
デハ2000形(初代)よりの流用品である、イングリッシュ・エレクトリック (E.E.) 社が設計したDK-31を東洋電機製造でライセンス生産したTDK-31Nを各台車1基ずつ、吊り掛け式で搭載する。歯数比は64:20=3.20である。
制御器
これもデハ2000形(初代)よりの流用品である、ウェスティングハウス・エレクトリック (WH) 社製HL電空単位スイッチ式手動加速制御器を搭載する。制御段数は直列5段、並列4段で弱め界磁は搭載されていない。
台車
デハ2111より川崎車輛製台車を流用した。
沿革
主に新聞輸送などの荷物電車として使用され、就役直後の1955年(昭和30年)は荷電として1往復、新聞輸送1往復という運用だった。
1957年(昭和32年)4月に事業用車両の形式を旅客車と区別するため、デニ200形201に改番された。
1964年(昭和39年)に京王線の1500V昇圧に伴い、それまでの電装品は600V専用だったため、井の頭線のデハ1560形、デハ1711、デハ1760形などの主電動機、デハ1400形・デハ1700形の制御器を流用して昇圧改造が行われた。この改造で主電動機が東急デハ3450形と同系統の日立製作所HS-267D、主制御器が電動カム軸式間接自動加速(AL)式の日立製作所MMC-H-200Bとなった。台車も主電動機の関係でD-16Aに交換されている。1969年(昭和44年)には京王線のATS運用開始に伴い、関連機器を搭載している。
1972年(昭和47年)7月に小手荷物輸送が廃止された後は、桜上水工場の入換車および深夜のATS試験車、工臨牽引車として使用された。
1982年(昭和57年)1月にデハ2711の改造車であるデワ221が投入された際、同車に合わせてブレーキ方式が自動ブレーキから電磁直通ブレーキ(HSC)に改造され、車体色もグレーとなった。
1986年3月10日付で廃車された。
脚注
注釈
出典
参考文献
書籍
- 飯島巌、森本富夫、荒川好夫『復刻版 私鉄の車両17 京王電鉄』ネコ・パブリッシング、2002年(原著1986年)。ISBN 4873663008。
雑誌記事
- 合葉博治、猪俣剛「私鉄車両めぐり(97) 京王帝都電鉄」『鉄道ピクトリアル』第278号、電気車研究会、1973年5月、62-72頁。
- 高橋孝一郎「私鉄車両めぐり(123) 京王帝都電鉄」『鉄道ピクトリアル』第422号、電気車研究会、1983年9月、147-163頁。
- 『鉄道ピクトリアル』通巻734号「特集 京王電鉄」(2003年7月・電気車研究会)
- 藤田 吾朗「京王の貨車のあゆみ」 pp. 187-194
- 「京王電鉄 主要車歴表」 pp. 240-259
- 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄 1950-60』、鉄道図書刊行会、2005年8月。
- p.44-55 飯島正資「私鉄車両めぐり 京王帝都電鉄」※『鉄道ピクトリアル』第45号、第46号より再録
- p.60-105 京王帝都レールファンクラブ「私鉄車両めぐり(65) 京王帝都電鉄」※『鉄道ピクトリアル』第171号、第172号、第174号、第176号、第177号より再録
- p.106-118 京王帝都レールファンクラブ「私鉄車両めぐり(72) 京王帝都電鉄 補遺」※『鉄道ピクトリアル』第197号より再録
- p.144-153 読者短信に見る京王電鉄の記録 1950-1960



