王 達(おう たつ)は清末民初の政治家。字は志襄、子襄。別名は蘭生。
事績
北京育才館を卒業し、山東省洋務局、商務局、巡撫署で任官した。その後日本に留学し、1911年(宣統3年・明治44年)に早稲田大学専門部政治経済科を卒業した。
帰国後は山東省の進士資格を得て寧陽県、菏沢県などの県で知県(県知事)となる。中華民国が成立した1912年(民国元年)、高密県知事に任命された。1915年(民国4年)9月、京兆尹に就任し、1920年(民国9年)8月まで在任した。任期中の1917年(民国6年)に北京市で水害が発生、その対応に従事するなど、全般に治績は良好だったとされる。
1924年(民国13年)、安徽省官鉱督弁となり、翌年には安徽省省長顧問となった。1931年(民国20年)9月、満州事変が起きると国民政府から駐日大使任命を打診されたが、王達は辞退している。同年、国民政府が組織した国民大会に国民代表として選出されたが、耳の病を理由に大会には出席しなかった。日中戦争期間中は蕪湖県に寓居しており、日本側から任官を誘われたものの全て拒否している。
1946年(民国35年)、病没。享年66。家財は何も残っていなかったとされる。
注
参考文献
- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 外務省情報部編『改訂 現代支那人名鑑』東亜同文会調査編纂部、1928年。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
- 宣城地区地方志編纂委員会編『宣城地区志』方志出版社、1998年。ISBN 9787807079118。
- 『早稲田大学校友会会員名簿 昭和十年用』早稲田大学校友会、1934年。




